スノウホワイト



 
スノウホワイト



 その白いものは音もなく降りてきてはエステルに触れて溶けてしまう。でも触れては溶けるを繰り返すうちに、どんどんエステルの熱は奪われて、いつの間にか触れても溶けなくなっていく。
そうなれば最後、あとは鮮やかなピンク色の頭が真っ白く覆われていくばかり。
 エステルは寒いなあと小さく息をついた。だからと言って滞在先の騎士団本部
に戻ろうとかいう気にはならなくて、じーっと空を見上げる。
降りてきた白が長いまつげにくっつくのを払うと、ぱらぱらと白く粉が舞った。

「きれい」

 つぶやいた声がほんのちょっと響いて、すぐに消える。他に音がないのはきっと、この白くて冷たくてきれいなものが音のする端から飲みこんでしまうからだと、エステルは小さい頃に絵本で読んだ。
実践するのは初めてだけれど。
 そんなことさえ嬉しくて、ふわりといつもの調子で笑おうとしたら、顔じゅうの筋肉がぎしぎしときしんでうまく動かない。でも気分はうまく笑えているから、とりあえずまあどうでもよかった。
 夜だというのに、世界はほのかに明るい。それというのも降りてくる白が世界中を真っ白に染め上げているからだ、とエステルはやっぱり小さい頃絵本で読んだ。この白くて冷たくてきれいな音を飲みこんでしまったりするものは、夜空の色さえも飲み込んでしまうのだ。

「ほんとうに、きれい」

 ほう、ため息なんてつきながら、うっとりする。

「なーにがきれいだって?」

 音のない、エステルだけの世界を、突然違う声がぶち壊した。びっくりする間もなく、頭に乗せられたもの(たぶん手、だと思う)ががしがしとエステルの頭をかきまわす。それにまたすごくすっごくびっくりする。ピンクの上に積もっていた白いものがぶわりと空気に舞った。

「うっわ、完全に体冷えてんじゃねえか」
「ゆ、ユーリっ!」

 近づく気配なんてさっぱり感じなかった振り返った先に、ユーリがすっかり呆れかえった顔で立っていた。エステルの頭に乗せていた手を冷てえと眉をしかめながらぶんぶん振る。全体に色を失っている手の中で、指先だけが真っ赤なのを見つけて目を瞠る。

「ユーリっ、手が真っ赤です!」
「……お前なあ、俺の心配より自分の心配しろよな」
 
こんな真っ赤な顔しやがって、とユーリの大きな手がエステルの頬を挟んだ。触れたそれがあったかい。あまりの心地よさに思わずホッと息をついて目をつむる。真っ赤になっている指先まであったかいと思うのだから、エステル自身がどれだけ冷えているのか推して知るべしというところ。これでは心配されるのも無理はない。

「こんだけ冷えたら、かぜひかない方がおかしいぞ」
「ごめんなさい、あの、ちょっと夢中に」
「雪にか?」

 ユーリが長々とため息をつく。

「こんな薄着で雪ん中につったってりゃ、そりゃ冷えるわな」
「だって、降ってくる雪をこんなに近くで見たの、初めてなんです」

 雪を見るだけなら見たことはいっぱいあるし、ゾフェルへ行ったときに雪も氷も味わった。けれど、その白がこうして降ってきて地面に積もっていくさまを見たのは初めてで、おまけに自分の上にもそれが積もっていくなんてのも初めてで、だからエステルはそのあんまりにもきれいな色に魅了された。自分の熱が奪われていくのなんて気づかないくらい、目も心も奪われた。

「だからわたし」
「はいはい。話は中でな」

 抱きこむように回された腕に引きずられるみたいに、エステルはユーリにくっつけられたまま歩かされた。そのあったかさが嬉しくて、少しだけ自分からも寄せてみる。それに気づいてか、ユーリの腕がちょっとだけ強くなった。嬉しくてうれしくて、どきどきして今度は楽しさに頬が火照りそうだ!



「エステル!? あんたいったいどうしたのその顔!」

 騎士団本部へ戻るなり、出くわしたリタは猫みたいな目をまんまるくして叫ん
だ。近くにいた騎士たちが一斉に振り向いたから、リタ声が大きいですと、しーっと人差し指を立てる。

「みなさんに迷惑がかかりますから」
「あんたねえ、自分の顔鏡で見てきなさいよ! そんなになるまでどこにいたの
!」

 エステルの顔に手を伸ばしたリタが、指先だけちょんと触れた瞬間、ぎゃっと悲鳴を上げて飛び退った。そんなにすごいことになってるのかしらと、未だ顔の神経がマヒしたままのエステルはのんきに首をかしげながら微笑う。

「ええと、ちょっと雪を見に」
「ちょっとでこんな冷たくならないわよ!」
「あー、ほら落ち着け、リタ」

 エキサイトするリタをまあまあとユーリが苦笑いで、

「そこはエステルだからな。寒い冷たいより雪観賞のほうが優先順位が高いんだ」
「……そこってなんです?」

 不満げに睨めば、さあなんだろなとひょいと肩をすくめてユーリが微笑った。
うまくはぐらかされたのだとわかるくらいには、エステルもだいぶ世慣れてきている。じーっとちょっとだけ恨みがましい目でその顔を見たけれど、そこは相手がユーリで、エステルより年上でずっと荒波にもまれて生きてきた彼には、そんなの髪の毛の先くらいにも堪えないだろうとわかっている。わかってはいるのだけれど。
 だってなんか悔しいのだもの。

「そんなことより、さっさと部屋戻って暖まりなさいよ。凍傷になったって知らないからね」
 
リタが呆れきった目で(諦めたのかもしれない)エステルをまじまじと見つめた。そこではっと自分の頬を両手で包んで、

「……ええっ!」
「いやその反応は遅いだろ」
「言うまでもなく遅いわね。ほら行くわよ、途中でフレンに見つかったらどうす
るつもり?」

 うっ。思わずつまる。

「……見つかったらまずい顔、してます?」
「まあ、卒倒するかもな。もしくは説教か」

 見上げたユーリは、悪戯っぽく笑ってさらりとそんなふうに言った。リタも否
定しなかった。



 冷え切った頬やら指先やらがちょっとだけかゆくなり始めたころ。

「……エステリーゼ、様?」

 結局廊下で出くわしてしまったフレンは、卒倒はしなかった。しなかったけれど、彼は全力で持っていた書類を床に向けてばらまいた。赤い絨毯の上に白い紙が散って、でも誰も拾わない。エステルは慌ててかがもうとしたけれど、フレンにいいです自分で拾います、と止められてしまった。その目は点のままだった。

「えー、エステリーゼ様、今までどちらに?」

 騎士のフレンははっきりきっぱりとは言わなかったけれど。それがまあエステルの頬の色を見てのセリフだとはすぐにぴんときた。だから、

「あ、ええと、それは」

 ついさっき、リタとユーリによってたかって(というほどじゃあないけれど)フレンが卒倒か説教モードだなんて言われた直後に、素直に外で雪を見ていましたとは言いにくい。だのに。

「外でうっとり雪観賞、ってな」

 横からユーリがつらりと言った。ひどいですユーリ、なんて言う暇もない。フレンがまた、拾い集めた書類を床に向けてばらまいた。

「エステリーゼ様っ!?」
「ああああのフレン、これはそのっ」
「エステルだから、自分より雪優先なのよ」

 さっきユーリが言ったセリフをそのままそっくり使うリタをにらむと、ふいっと視線を逸らされた。そんなのはまあフレンにとってはきっとどうでもいいのだ、彼は吐き出せるだけ息を吐き出すというとんでもなく大きいため息をついて(最近の彼は、他に誰もいなければ多少崩した態度をとってくれるようになった。大変嬉しいことに!)、

「……変なところだけどんどん似てきてますね、ユーリに」

 ぼそりと言った。リタが本当だわなんて賛成しちゃっている。そんなにユーリに似ているかしら、なんてエステルは思う。変なところなんて条件付きでも(だって恋は盲目だもの!)、人として格好いいユーリに似ているだなんて、嬉しくないわけがない。
 でも当のユーリはうっせ、とジト目でつぶやいた。変なところ、がやっぱりどうにもひっかかるらしい。



 借りている部屋に押し込まれたら、あまりにあったかすぎて、冷え切った体がぶるりと震えた。ユーリがすっかり準備していたみたいにてきぱきとエステルを毛布でぐるぐるとくるむ。そこへ、待っていたみたいにフレンが濡れた髪へとタオルを一枚。ぬくぬくとあっためられた毛布に、もう一度小さくふるりと震えた。あったかい、思わず幸せな気分になる。……なったけれど、でも近くの鏡に映った姿はなんだか季節外れのミノムシみたいだった。すぐさまなんかちょっと悲しくなった。

「よーしエステル、そのまま暖炉の前行け。あったまれ。んで髪も乾かせ」
「あ、歩きにくいですし……腕動かすなんて無理ですっ」

 1枚ならともかく、4枚巻きつけられたら重くて重くて仕方ないし、そもそも手は毛布の内側なのだけれど。

「しかたないわね、ほらエステル」
 
見かねたリタが毛布のはじっこをつかんで引っ張ってくれるのだけれど、でもあまり効果がない。むしろ引っ張られると、どうやったって重くて足が前に進まないエステル(ミノムシ仕様)には、バランスを崩す要因にしか、ならない、わけで。

「きゃあ!?」

 ぐらりと体が傾く。エステリーゼ様、とフレンが叫ぶのが聞こえたけれど、エステル(ミノムシ仕様)はそれどころじゃあない。ぼふんと倒れて、まあ毛布のおかげで痛くはなかったけれど、でもそれっきり動けなくなる。

「ちょっ、だ、大丈夫、エステル!」
「エステリーゼ様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫、ですけど……起きれない、です」

 足をばたばたばた、と動かしてみた。巻かれた毛布のおかげでそれ以上の動きができない。ついでにやっぱり腕も動かないから、体を起こすこともできない。重いとかなんかそういうこと以前の問題。確かにあったかいけれど、でもこれはちょっと問題が多すぎる(たとえば見た目がミノムシっぽいとか)。

「あー、ちょっと巻きすぎたか」
「巻きすぎ、ですっ」

 どこかへ行っていたのか、気配の消えていたユーリがふらりと近づいてきてつぶやいた。

「……何言ってるんだ、どうせ確信犯だろう?」
「人聞き悪いこと言うなよ。エステルにカゼひかれたら困るだろ、お前だって」
「それはそうだけど。だからって歩けなくなるほど巻く必要はないんじゃないのか?」
「手っ取り早く冷えない方法とったんだよ」
 
言うなり、ひょいとエステル(落っこちたミノムシ仕様)の体が浮いた。ユーリが片手で持ち上げてくれたらしい。そのまま暖炉の前まで運ばれて、ぽいと床に下ろされる。暖炉に薪を放りこんでいたフレンが、窘めるように強い調子でユーリを呼んだ。ほれ、と目の前にマグカップが出されたので、もぞもぞ、一生懸命に腕を出そうと頑張って、やっとこ表に出せた両手でそれを受け取った。

「わあ、ココアです!」
「熱いからな、気をつけて飲めよ」

 ミノムシになってしまって沈んでいた気分が再び急上昇した。このあたりげんきんと言えなくもないけれど、でもユーリのココアは美味しいのだから、それを味わえるなんて幸せ以外のなんでもない。

「ああ、いい香りです……」

 口をつけたら、とろけるような甘さとあったかさが広がる。おなかの底からあったまってくる感覚に、はふと小さく息をついた。

「あったかいです。ありがとう、ユーリ」
「どーいたしまして」
「フレンも。お仕事中に心配させてごめんなさい」
「いえ。……すみません、それでは失礼します」
 
にこりと微笑って、フレンは一礼を残すとそのまま部屋を出て行った。きっと山ほど仕事があるのに、エステルを心配してついてきてくれたんだろうなあと思うと、なんだかひどく申し訳なくなった。エステルが外でぼけっとしたせいで、フレンに迷惑をかけてしまった。
 ちょっとしゅんとしてしまったところへ、リタがあ、と声を上げた。

「あのマジメ騎士、大事な書類忘れてってるわよ」
「えっ!」
 
首を動かせば、近くのテーブルの上に置きざりにされた白い束が何とかぎりぎり視界に入る。ユーリがはは、と笑った。

「よっぽどエステルが心配だったのか、急いでたのか、どっちにしろマヌケだな」
「そういう問題じゃないです、ユーリ!」
 
迷惑の上塗りだなんて、もう穴を掘って埋まりたくなるような事態じゃあないか。

「しかたないわねー。気にすることないわよ、あたしが持ってくから」

 リタ(手しか見えなかった)が、白い束を持ち上げてばさばさと振った。

「リタ?」
「もともとあいつに用があったの。声かけそびれたし、行くついでよ」

 さっさと歩きだしたリタを、ユーリが呼び止める。振り向くとユーリが布っぽいかたまりを放った。リタがわあなんて慌てるけれど、確かなコントロールのそれはしっかりとリタの腕の中に落ちる。

「なによこれ、マフラー?」
「ついでのついでで首冷やすなって言っとけ。首冷えるとすーぐカゼひくんだあいつ」
「……め、めんどくさいこと押し付けないでよ!」
 
顔を真っ赤にして、それでもきちんとマフラーを抱え直す。改めてドアを出て行こうとするその耳が顔よりもさらに真っ赤っかで、エステルは声を出さないように注意しながらくすりと笑った。素直じゃないんだから、なんて言ったらリタは、絶対にあのマフラーを床にたたきつけて出て行ってしまうに違いないのだもの!
 ぎこぎこと音がしそうなくらいの不自然さでリタが出て行った後、ぶっとユーリが盛大に吹き出した。

「ユーリ、だめです! 聞こえちゃったら」
「大丈夫だって。あの調子じゃ、周りの音なんて全然聞こえちゃいねえよ」

 くくっと喉の奥で笑うユーリの手がぽんぽんとエステルの頭をたたく。それからじっとエステルを見て、

「……でっけーミノムシだな」

 感心したように言った。

「ユーリがしたんですよ!」
「いや、カゼひかねえようにと思ったんだけど。歩けねえのはともかく、まさかミノムシになるなんてなー」
 
予想外だなんて楽しそうに言うセリフじゃあないはずだ。特にこの場合は絶対になにか間違ってる!
 じーっとユーリの顔を、ひたすら、無言で、見つめてやったら、彼が悪かったよと頭をかいた。それから2枚くらいエステルに巻きつけた毛布をはぎ取って、手際よくたたんでテーブルの上へ。今度はその手をじーっと見ていたら、ユーリがひょいと肩をすくめた。

「ま、こんだけあったかい部屋の中にいるなら、そろそろがちがちに巻いとかなくても平気だろ」
 
窓辺に背を預けて笑うユーリが外を指さす。自由に動くようになった足のつま先はじんじんしてなんだかものすごくかゆい。それを我慢でとことこと窓辺へ近づくと、白く曇った窓の向こう、遠くに赤みを帯びたものが揺れていた。その少し離れたところにはなんか黄色いものがぽつりと点みたいに浮いている。
 毛布の端っこで窓をぬぐう。丸く、そこだけクリアになったところからのぞいたら、赤いのはリタだった。雪をこぎこぎ歩いている。そしてさらに遠い黄色の点は、どうやらフレンの髪の色、らしい。

「リタ、ちゃんとフレンに届けてくれたんですね」
「せっかくの口実だからな。頭のいいあいつがそれをみすみすつぶすわけねえさ」
「口実、」
「理由もなしにフレンと話しに行けるほど素直じゃねえだろ、あいつは」
「……そう、ですね」

 窓の外を見つめて微笑む。寒い寒い雪の中を、わざわざフレンに用があるなんて追いかけるリタはとてもかわいいけれど、でもかわいいと言われることを絶対にリタは喜んでくれない。そんなわけない恥ずかしい、と顔を真っ赤にして怒るのだ。

「怒るくせに、でも行動自体は素直なんだよな」
「はい」

 思わず笑ってしまって、そしてエステルは外の光景を見てもう一度笑ってしまった。
 リタがずいっとマフラーを突き出して、受け取ったフレンがそれをリタの首に巻いた。そうしてひょいとリタを横抱きに抱きあげている。リタが全力で暴れるけれど、そのくらいじゃあ揺らがない。

「おーおー、見せつけてんなー、あいつ」
「フレンたら、意外と積極的です」
「意外じゃねえだろ。あいつはいつだってあんなん」

 くちゅん!
 ユーリのセリフが終わるより先に、エステルは盛大にくしゃみをした。

「……やっぱり引っぺがすのまだ早かったか」
「そ、そんなことないですっ」

 再び毛布を広げるユーリにぶんぶんと頭を振る。それから、ぬるくなったココアをぐいっと一気に飲み干して、

「内側からあたためれば大丈夫です」

 力いっぱい、マグカップを差し出した。

「内側から、って……おかわりかよ」

 ユーリがしかたねえなあとやんわり笑った。マグカップをひょいと取り上げると、今度は自分のも作るかとか言いながら歩いていく。

「あったかくしてちょっと待ってろよ」

 そんな風にくぎを刺しながら離れていくユーリの背中に、とてつもなく大きな幸せを感じる。エステルはもう一度窓の外を見た。いつの間にか雪が止んで、フレンとリタの姿も消えて、静かなものだった。
 風が吹いて、積もった雪を高く高く舞い上げた。暗い中に白がきらきらと輝いて、夢みたい、とエステルは思う。

「やっぱり、きれいです」
 戻ってきたユーリにそう報告したら、一瞬きょとんとしてしまったけれど。でもユーリはそれからすぐによかったなと頭をタオルごとくしゃりとして、まだ冷たさの残る額に軽く口づけをくれたのだった。



 


        初めまして、嘉咲と申しますー
        どの辺がユリエスでフレリタなのか自分で自分を問い詰めたい気分でいっぱいで
        すけど;;
        雪のお話が書けて力いっぱい満足ではあります(笑)
        参加させていただけて大変楽しかったですvv
        ありがとうございました!
       

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